整体院塚潤院長 塚元惇也の仕事歴について

こんにちは

市原市姉ヶ崎整体院塚潤の塚元惇也です。

今日は、私の仕事歴について書いていきたいと思います。

私の仕事歴は高校生は銚子丸、大学生は整骨院、社会人は整形外科、機能訓練型デイサービスで働きました。

そこで学んだことについて書かしていただきます。

高校生 銚子丸

大学受験が終わり高校3年生の時に銚子丸の柏店に入りました。

当時高校生の時給は800円でした。

銚子丸ではホールの仕事をやりました。私は口下手で不器用なので簡単な仕事もできず教えてもらう先輩には多大な迷惑をかけました。

まずお客様としゃべることが恐怖だったのを覚えています。

最初にお客様にあら汁を持っていくときに言葉がでずに黙って渡したことを今でも覚えています。

そんな私でも対処できるように銚子丸は、マニュアルというものがあります。

こういう時はこう言うと言うマニュアルです。

マニュアルを先輩のアルバイトの方のみてる前で言う練習をしました。

練習していくうちにマニュアル通りにしゃべれるようになりましたし作業もできるようになりました。

私の接客業は銚子丸からはじまったんだなと思います。

本当に銚子丸では周りの足を引っ張るだけ引っ張り終わったなと思います。

それでも楽しく仕事できたなと思います。

大学生 整骨院

大学生は、整骨院で働きました。

整骨院業務といえば主にマッサージと電気の取り付けです。

僕は不器用なのでマッサージの習得にも時間がかかりました。

3年働いたのにマッサージが全然できないまま大学生活終わってしまったなという感じです。

さらに僕はマッサージだけでなく口下手なのでトークもできませんでした。

お客様の前にいても悲壮感がでてしまいます。

なにかしゃべらなければならないのですが何も喋ることはできません。

院長に喋れなさすぎてかなり怒られました。

それでも3年間続けたのですが今考えるとマッサージも下手でトークも下手でどうしようもなかったという感じでしたね。

社会人 整形外科 機能訓練型デイサービス

整形外科では主に骨折、脱臼の固定、リハビリ、マッサージを行いました。

まず驚いたのが整骨院で働いていたせいか喋ったりマッサージするのが上司より上手かったんです。

それは私が優れていたわけではなく整形外科では喋りのスキルやマッサージの技術が求められていません。

求められているのは正確に怪我を評価して治療するスキルです。

レントゲンの読影や固定方法など私が不器用なのもあり下手くそなのを作っていたのを今でも覚えています。

その時の患者さんは本当に申し訳ないです。

土日はセミナーに通って固定方法や電気療法のセミナーに通いました。

勉強熱心だったこともありリバビリ、マッサージ、固定、レントゲン読影、などなど7年働いてできるようになりました。

やっと慣れたと思ったら院長先生が亡くなり整形外科が閉院し整形外科を退職しました。

次に機能訓練型デイサービスに行きました。

機能訓練型デイサービスで私が1番苦労したのは、車の運転です。

機能訓練型デイサービスとは車で利用者を迎えにいきリハビリを行い利用者を車で送り返さないといけません。

私は不器用ですから車の免許をとるときも普通の人の2倍ぐらい時間がかかりました。

免許とってからは一回も運転していないペーパードライバーの状態で1、2週練習して利用者を送迎しました。

半年でバックもできるようになりやはり慣れだなと感じました。

まとめ

私の職業歴を振り返ると不器用で習得するまでに時間がかかるなときづきました。

それでも辞めずに続けていけば立派になるなと感じた次第であります。

まだまだできてないことがたくさんありますがこれからも皆様のお力になれるように頑張っていきます。

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